安田講堂 1968‐1969 (中公新書)



安田講堂 1968‐1969 (中公新書)
安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

ジャンル:歴史,日本史,西洋史,世界史
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凄い時代があったものだと感嘆

1968年。米国ではベトナム反戦が盛り上がり、チェコではプラハ市民がソ連戦車に相対し、フランスでは学生運動によってドゴール政権が倒れるなど、世界中で若者の「反乱」が展開されたこの時代、一体若者達は何に不満を持ち、何を考えて行動していたのだろうか。そんなことを知りたくて本書を手にとった。

本書は、安田講堂の籠城戦の指揮をとった著者による、68?69年の全共闘運動についての証言である。人によっては「偏り」を感じることもあるだろうがそれは当事者の証言なので当然のこと。80年代以降に生まれ、学生運動などとは無縁な時代に育った者としては、時代の雰囲気がリアルにひしひしと伝わってくる好著である。

著者も言うように、60年安保と比したときに68年の運動はまだまだその歴史的意義について十分に議論されていない観が否めない。日本における学生運動の歴史的位置づけや世界での出来事との連関についての歴史研究が今こそ望まれているのだろう。

ルサンチマン

かつて若者がモノを考える時、一人称が「僕」ではなく「僕ら」だった時代があった。
確かにあった。
まずその思いだけは、シンプルに評価されて良い筈だ。
だってそれ自体は、素敵な事だから。

その先に見たのは、漸次的な改善だったか、夢想的な革命だったか。
私の頭のレベルからすれば、また歴史としてみるしかない世代からすれば、
その背景に置いた高尚な思想・理想・理論はもはや窺うことはできない。
何を志向する「僕ら」だったかにもよって、バラバラだったのだろう。

ただ採択した手段やもたらされた結果は、
全肯定はもちろん、全否定もされてはならないはず。
当事者には、必ず行動原理があったはずだから。

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そうしたスタンスで、気をつけてこの時代を見るようにしている。
すると、本著作はあまりに当事者サイドの肩入れと、
当時、対峙した対象への怨恨のみで書かれている観が強い。

現場に居合わせた、一当事者のルポといった程度に、かなり距離を置くべき著作と捉えた。
僕たちの失敗

いろいろと議論を呼ぶ著述だとは思います。自己弁護としか思えない部分も散見するし、何よりも東大闘争のいきさつを他の文献で補強しておかないと、歴史書としては不完全なため、読みにくいです。

でも、次の二点で私は、この書を推します。

ひとつは、自分たちが体制変革に失敗し、そのことが現在にまで尾をひいている教育と医療の混乱の基であることーすなわち闘争はまだ続いているのです。
もうひとつは、山本義隆氏が中心となって、東大闘争時の資料数千点がまとめられた「’68・’69を記録する会編『東大闘争資料集』全23巻」が国会図書館に存在することを明らかにした点です。

これから、全共闘運動は回顧でなく歴史として語られるべきです。島氏に続いて多くの方の発言、他大学の方、できれば日大全共闘の関係者からの発言が出てくることを期待します。
同世代として、共感した

 数年前、今井澄氏(元東大全共闘議長→民主党参議院議員)が逝去したとき、友人代表として弔辞を読んだのは、すっかり白髪になった山本義隆氏(東大全共闘議長→予備校講師)であった。まるで、赤穂浪士のようにいつか討ち入りをとの思いを持ち続け、ときとして現れる東大全共闘。このときの同志の絆には感動した。著者、島泰三氏の今回の命がけの告白には、脱帽する。よく語ってくれた、きっと次に続く東大赤穂浪士がいるはずである。
東大全共闘が哀れだ

 安田講堂で「学生隊長」として闘った体験を書いた後半部だけは貴重な記録。しかし、68年春から暮れまで彼が何をしていたかはほとんど書かれておらず、中盤までは平板な学内政治記述が続く。東大闘争に予備知識のない読者は、前半部で退屈のあまり本を放り出しかねない。
 また革マル派が安田講堂攻防戦の日に「逃亡」したことや、68年末には全共闘支持はすでに少数派になっていたことなど、全共闘に都合の悪い事実は無視され、ひたすら「純粋な青年が醜い大人と闘った」という図式の記述が続く。著者の友人は、「覚えているのは自分に都合のよいことばかりで、それは本当にあったことか、そう信じたいことかも分からない」と述べたそうだが、著者自身がそういう状態なのだろうか。
 さらに驚くべきことに、東大全共闘が唱えた「自己否定」「大学解体」といった思想には、全く言及がない。思想に関心がないのか、それとも当時の青年たちの思想は未熟で言及に値しないと考えているのか。著者は結論部で、「思想は長い人生経験の果てに析出してくる滓、あるいは糟のようなものだから、青年に思想を求めるのは、無理というものである」と書いている。これでは、東大闘争は思想的背景も何もない、白虎隊や戦艦大和と同レベルの「若武者軍記物」として、著者に扱われているとしかいいようがない。
 おまけに結論部では、昭和天皇の「お言葉」から「この列島に生きる者たちは、結局同胞なのだ」と説かれ、「なまじ、『階級闘争』の、『革命的学友諸君』のというような『現実に即していない』観念を振り回さなければ、お互いが同胞として分かりあえたはずなのである」とまとめられる。こんな人物に歴史を書かれた東大全共闘が哀れだと思う。



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